はじめに

宇迦之御魂命
宇迦之御魂命

写真は私が祭祀を取り仕切る宇迦神社です。
祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)の大神。
伏見稲荷大社の主祭神でもいらっしゃり我が家の宇迦神社も
伏見大社より勧請をうけております。
朱の三本鳥居や灯篭はそれぞれ先代の時代にご奉納を頂いたもの。
ごく普通の民家の家の玄関をあけ土間をずっと奥へ進むと
ふと広がった空間に開閉天井の中庭があり
いきなり大きな社が鎮座しているため、初めて見える方は大抵驚かれます。
代が変わった今でも稲荷の日である一日と十五日には
近隣の方や時折遠方の方がお参りにお見えになります。
(お尋ねごとは事前にご予約を頂いていますが
この日のお参りはご自由に出入り頂いています。)


そもそも稲荷神社自体は我が家に古くよりお祭りしていたのですが
これほど社を高くし、神仏意識との交感能力を持つ稲荷巫覡が
立つようになったのは先代からでした。


その先代の稲荷巫覡は昨年の12月大晦日、満100歳で天寿を全ういたしました。
戒名に入った妙恵の名は、生前仏門にて得度し頂いた僧号でもあり
遺影は袈裟の僧形をしております。
(奇異に思われるかもしれませんが
日本は古くより神仏習合の文化をもっており神社敷地内にお寺があったり
神を祭るお坊様がいらしたりするのはごく普通のことなのです。
明治の廃仏毀釈にて無理やりに神仏が分けられただけなのですね。)
多くの困れる方の助力にならんと神に仏に仕え励んだ先代は
最期の最期まで偉大でかつ親しみやすい、
私にとっては豪快で愛嬌ある曾祖母でございました。


その先代の生き様は最期の顔に集約されていたようにおもいます。
驚くほど穏やかで、微笑むようなその顔は、
今にも起きだして勢いのある博多弁でしゃべりだしそうなほどでした。
ああ、人はこのような最期を迎えることができるのだな、と思ったものです。


とはいえ先代の生涯は穏やかとは言いがたいまさに艱難辛苦の連続であったそうです。
ごく幼いおりから奉公に出され、飢餓や貧困、世間対人のあらゆる苦労を舐め
その辛さは現代に生きる私の想像を遥かに超えたものでしょう。
やっと暮らし向きが落ち着いた40過ぎに巫病を得て足が立たなくなり
わらをもすがる思いで祈る折に宇迦神の宣託。
思いもよらない巫覡の重いお役目を背負うことになったのです。
宇迦神に申し付けられる山岳の修行や、
ときに若い私ですら倒れ付してで白目をむくほどの過酷なお役目を
かなり高齢になるまで勤め上げた人生は安穏とは程遠いもの。


しかし、私が生まれたときより知る先代は、
常に豪快に笑い、底抜けに明るく、人に好かれ人が集まり
苦労の苦の字も感じさせないような人でした。
負うたる役目においては、倦まず投げずに己のなすべきことなしている自負と
私においては、苦よりよく幸いに目を向け喜びを見逃さないその生き様が、
あの最期の顔を作ったのだと思います。
誤解のないよう付記いたしますが、志半ばで斃れる方がいらっしゃるのも
重々承知しています。しかしどのような最期であれ(自ら死するを除いて)、
自負ある人にとっての死は安息になりえるのではないでしょうか。
少なくとも私には、そう思えるのです。


できれば私も、逝く時はあのような最期を向かえたいものです。
そのためには、よく死ぬにはよく生きなければと
初彼岸の法要の日に思ったのでした。

 

宇迦神社 巫女


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